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この日は決して忘れる事はできません。突然、アメリカが沖縄に攻めて来たのです。それはあまりにも突然の事でした。
当時、私たちは勤労奉仕の陣地造りと学校の授業を交替でやっていて、私たちのクラスはその日は授業のある日でした。学校に向かう途中、飛行機が編隊を組んで北の方から飛んで来ました。その日は日本軍の演習があると噂で聞いていたので、朝早くから頑張っているなと思ったのですが、なんと、その飛行機は那覇港に爆弾を落とし始めたのです。
私たちは慌てて学校の防空壕に隠れました。空襲は7時頃から8時半頃まで続きました。敵機が消えたので、学校に集まった生徒たちは解散になりました。
うちに帰ると弟が待っていて、一緒に首里の祖母の家に避難する事になりました。首里に向かう途中で、また敵の攻撃が始まりました。大勢の人たちと一緒に首里まで逃げて、何とか無事に祖母の家に着きました。
その日のアメリカの空襲は五回もありました。1回目が7時頃から8時半頃まで、2回目が9時半頃から10時過ぎまで、3回目が11時半頃から12時半頃まで、4回目が1時頃から2時頃まで、5回目が3時頃から4時頃まででした。1回目から3回目までは那覇港と小禄飛行場に集中していましたが、4回目からは那覇の街も攻撃されて、那覇の街は灰燼と化してしまいました。勿論、私の家も焼けてしまいました。学校も焼け落ちてしまいました。
那覇の街が燃えているのを首里から見ていた私は涙が止まりませんでした。私たちが一体、何をしたというのでしょうか。どうして、那覇の街がアメリカの攻撃に遭わなければならないのでしょうか。
でも、悲しんでいる暇はありませんでした。那覇から逃げて来た大勢の人たちが城跡や学校の校庭に避難しているので炊き出しを手伝ってくけと頼まれて、私たちも行って、おにぎりを作り続けました。9時頃になって祖母の家に帰ると、姉がいました。姉の顔を見たら、急に悲しみがこみ上げて来て、大声で泣いてしまいました。姉から、父も無事だと聞いて安心しました。
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